今昔物語の吉祥天女

6、これからコーディネーターの渡辺です。

先日の吉祥天のコラムに誤りがありましたので訂正から書かせていただきます。

 

古来インドでは手の形で意志を現す習慣がありました。 これから発展して印相が生まれ、

指で輪を作ったり両手を組み合わせたりして色々な形をつくり意味が加わります。

そこで吉祥天女の左手ですが、

下にさげて掌を正面に向け、人々の願いを聞き入れ望むものを与えようとする身振りで、

深い慈悲を表わす「与願印」をとっています。

セットになることの多い「施無畏印」は間違いでした。すみません。

 

 

さて、今回は、今昔物語の中の吉祥天のお話を紹介しましょう。

今は昔、

越前の国に生江世経(いくえのよつね)という人がおりました。食べる物にも事欠く日々で、

吉祥天女に「天女さま、どうかお助けください」と祈っていました。  しばらくすると美しく

上品な女性が尋ねてきて、土器にご飯盛って与えてくれました。世経は喜んで、まず少し食べてみると、

おいしい上に、すぐ満腹になり二、三日たってもお腹が空きません。そこでこの御飯を大事に取っておき、

少しずつ食べていましたが、さすがに数日経つとなくなってしまいました。

そこでまた吉祥天女にお祈りすると、再び門前に先の美女が現れ、「米三斗」と書いてある文書を渡し、

「北のひときわ高い峰へいって、『修陀、修陀 (しゅだ、しゅだ)』と呼び、出てくる者に米をもらいなさい」と言いました。

世経は早速、教えられた通り、高い峰に登り、「修陀、修陀」と呼びますと、

恐ろしげな声がして、角が一本生えた恐ろしい鬼が出てきました。

「ここには三斗と書いてあるが、ご主人さまは一斗をあげるようにと言われた。」と

袋に一斗の米を入れてくれました。

袋を頂いて帰り、毎日のようにそこから米を取りましたが、この米袋は一斗を取って使うと、

また米が出てきて尽きることがなかったのです。

これを聞いた国守がその袋を百石で売れと世経に命じます。仕方なく渡した袋から

国守は喜んで米を取り出しましたが、百石を取り終ると、もう袋から米は出て来ません。

国守はくやしがりましたが仕方なく、世経に返しました。こうして世経は次第に裕福になりました。

真心込めて吉祥天にお祈りする人はこのとおり、と語り伝わっています。 (今昔物語巻17の47)

 

資産袋が  (おかねだけではありません!) 尽きること無くとお祈りしたいものです。