伝えるということ

今後の生活ガイド役、これからコーディネーター渡辺です。

人間は五感で周囲の状況を把握し、音声と耳とで人と会話しますが、

植物は自分の意志を 他の植物や動物に伝えることができるのでしょうか?
今週末のけいはんな市民雑学大学講座で、この答を聞くことが出来ます。

 

さて、私が住む木津川市の紹介です。
「木津川市は京都府の南端で、奈良市に隣接しており、市内の中央を木津川が流れています。

この川は、昔は「いづみ川」とも「和唐川」とも呼ばれていました。

大陸や朝鮮半島から渡来人達が、船で瀬戸内海から大阪湾の淀川に入り、川を遡り、

今の木津川市山城町上狛に上陸し、新しい文化を運んできました。

そこには最古の仏教寺院跡である「高麗寺跡」がありますが、7世紀初頭、

飛鳥時代の頃のものです。
奈良時代740年には、聖武天皇は木津川市加茂町に遷都し、恭仁京という

新しい都を造りました。その頃は疫病や戦乱で社会不安が高まっており、

仏教の力で国を落ち着かせるため諸国に国分寺・国分尼寺の建立の詔を出し、

さらに2年後大仏造立の詔を出しました。

この時、東大寺建設のため木材が水運を利用して運ばれました。

木を陸揚げされた場所は「木材の港・木津」と呼ばれ、川の名も木津川となりました。

南都と平安京の間に位置する南山城のこのあたりは、寺院が多く建てられ、

美しい優れた仏像が沢山あります。
時代が飛びますが、明治に木津川は再び、外国と繋がります。

木津川市とその周辺はお茶の大産地で、栽培された茶葉が山城町上狛の茶問屋へ集められ、

そこで茶問屋ごとにブレンドされたお茶が製造されて、船に乗せ木津川を下り、

大阪から神戸へ届けられて後、アメリカやイギリスへ輸出されたのでした。
最盛期には140軒もの茶問屋が軒を連ねたのが茶問屋街です。

今も30軒ほどが営業されており「伊右衛門」で有名な福寿園さんもその一つです。」

 

先日、東京でプロモーションする機会を得たとき、若い方が多かった事もあって、

「木津川市ってご存知ですか?」から始めると、殆どの方が

「いいえ」とのお返事だったのですが、

「伊右衛門」の福寿園のくだりで「あーあ!」と。

中にはラーメンの「無鉄砲」の名前で反応して下さる方もありました。
京都府内では京都市に次いで文化財の多い所で、

ミルフィーユの様に各時代の文化財が積み重なって沢山あるところです

と言うと、うなずかれるとか、
相手の世代に合わせた心を掴む言葉を探すのが難しくも面白くも感じたのでした。