年賀状

新年おめでとうございます。
これからコーディネーター渡辺です。 

皆様は年賀状を書かれましたか? また、たくさん受け取られたでしょうか?
ネットを使い、郵送しなくなった人が段々と増えているようですね。

また歳をとると年賀状を止める人も増え、50歳になったのを機に年賀状が来なくなった友人や、
もっと高齢で止め時や止め方を様子見している人の話も聞きます。

初めに住所がなくなり、次いで名前が無い年賀状が送られて来て、
その文面からは確実に相手が判るのだけど、
その人からのそれは最後の年賀状だよというメッセージなのだろうと受け止めた 
という話をこの新年にはブログで読みました。
そんな繊細な止め方もあるのだと心ジーンとしてしまいました。

さて、私は、何十年も会っていないけれど年賀状だけで近況を知る高校時代の友人とか、
毎年素敵なデザインの年賀状なので心待ちにしている友人とか 年に一度繋がりの年賀状を
読む時間を楽しみにしていますが、今年ちょっと困り事が起きました。

「福慧増上を心よりお祈り申し上げます。」

年上のいとこからの年賀状に書かれていたのですが、私には
読めないし、意味も解らないのです。

気に掛かるので調べようとして 結構手間取りました。

やっと「小伝馬町 身延別院」のサイトで下の様に書かれているのに行き着きました。

《 福慧とは、福徳と智慧のことをいう。
大乗仏教では、この二つは、悟りに到達するための必須の要件で、
どちらが欠けても仏になることはできないとされている。
 智慧は真理を見極める智慧のことで、これは仏教の早い時代からシステマティックで
具体的な方法が考案され、修行者はこの修行法にしたがって、身心を整え
精神集中による瞑想や観想によって段階的に煩悩を滅して、論理的な智慧(観慧)を磨いていく。

 一方、福徳とはなにか。これは決して財産や地位などをいうのではない。
人の喜びを自分の喜びとし、人の悲しみを自分の悲しみとする人、
そういう人が持つ心の豊かさと優しさを福徳という。
この福徳は生まれつきの性質ではない。
努力して修行することによって積み重ねることが可能である。
それならば、どのような修行によるのだろうか。
実はこの福徳を積み重ねる修行は自分一人だけではできない。
大勢の人との結びつき、すなわち「縁」が必要になる。というのも、
福徳は他人への働きかけの修行によってのみ積むことができるものだからだ。
だから、他人との関わり合いが必須となる。》

「福慧増上(ふくえぞうじょう)」   
福徳と智慧、自身の修行・鍛錬と大勢の人との縁の両方を 強くしていく 
という意味なのだとやっと解りました。 
そして、ああ、良い言葉を送ってもらったのだと思いました。

日々心を引き締めて過ごしたいと思います。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。