私の町の万葉歌碑をめぐる

私が住む木津川市は、京都府最南部に位置し、奈良市と接しています。
このあたりは、平城・相楽ニュータウンとして1971年(S46年)より奈良県奈良市と
京都府木津川市および相楽郡精華町にまたがる大規模ニュータウンとして開発されました。
近鉄電車の駅は1972年、奈良市側に作られましたが、この駅の名およびこの周辺の地域は、
このあたりを詠んだ万葉集の歌から名付けられ呼ばれているとのことです。

「秋さらば、今も見るごと 妻(つま)恋(ご)ひに 鹿(か)鳴かむ山ぞ。高野原(たかのはら)の上」
 (万葉集 巻一 八四 長皇子)

~今、鹿の声が聞こえているが、やがて秋になったら、今経験していると同じように、
妻に焦がれて、始中終(しょっちゅう)鹿が鳴くはずの山です。この高野の原のあたりのこの山で。
(だからまた、秋にもここへ来ようではありませんか。) ~(折口信夫 訳)

これは、長皇子(ながのみこ)が志貴皇子(しきのみこ)と共に奈良の佐紀宮で宴をしたときに、
長皇子が詠んだ一首で万葉集巻一の巻末を締めくくる歌です。
近鉄高の原駅改札口を出てすぐのところにこの歌碑があります。
現在一日の乗降客が3万五千人を超す賑やかな駅の空気から一変、この歌は
穏やかな雰囲気、静かな野山の風景が目に浮かびタイムスリップするかのようです。

佐紀宮がどこにあったのかは分りませんが、高の原から歌姫街道を奈良に向かう途中に
今は佐紀町という所があります。
高の原駅からすぐの西ロータリーにある万葉歌碑は この歌でした。
地域のガイドさんの案内で歩き、見慣れた町の新たな魅力に気づくのは面白いことです。

「春日なる 三笠の山に 月も出でぬかも 佐紀山に 咲ける桜の 花の見ゆべく」
(万葉集 巻十 一八八七 作者不詳)

~春日の三笠山に月が出てくれればよい。佐紀山に咲いている桜が見えるように。~ 
(折口信夫 訳)

確かに少し東の丘から、奈良市の若草山山焼きを見ることができ、三笠山も見えます。

さらにもう一つの歌碑は木津川に近づく北方向にあり、これは夫婦の愛情溢れる歌でした。

「泉川 渡瀬(わたりせ)深み 我が背子(せこ)が  旅行き衣 裾濡れむかも」 
(万葉集 巻十三 三三一五 作者不詳)

~泉川(現 木津川)は渡る瀬が深いので、いとしいお方の着物の裾が濡れるかも知れない~
(折口信夫 訳)

この歌には、夫と妻の別の歌がついてます。
次のコラム担当は「いい夫婦の日」(11月22日)に近づきますので、次回にご紹介したいと思います。