車椅子の旅<12回目>

今後の生活を共に考えるガイド役、これからコーディネーター渡辺です。
つい先ほど旅行から帰って来たばかりで今回はその余韻のまま書きます。

今この旅は車椅子の友人と毎年一度の楽しい恒例行事となっていますが、
14年程前のこと、脳の手術から半身不随になってしまった友人が、
もう楽しみにしていた海外旅行に行けなくなったと泣いたのを見たのがきっかけでした。

「いつか絶対に行こう!連れて行ってあげるから。 行けるようにリハビリを頑張ってね。」
と約束した時は、正直なところ 本当に行けるようになるまで回復するかどうか判りませんでした。
その時まだ病院で、過去の記憶が曖昧、話すこともままならない状態でベッドで寝ていたのです。

退院し、リハビリをして少し回復してから 旅行を始めました。
1回目は能登半島一泊。このころは高速道路の車イス用トイレ入口は、まだカーテンでした。
少しの事も怖がり、全て消極的でした。
2回目は箱根一泊。食事場所の段差に困っていたら、バイクの若者集団が集まって
持ち上げてくれて感激!
この頃は食事にとても時間が掛かりました。
3回目愛媛4回目高知で一泊。この頃から過去の記憶が沢山思い出せるようになり、
話すのも少し滑らかになってきました。
5回目で長崎へ。飛行機に乗る練習です。レンタカーは普段慣れているのと同じ車種を借りますが、
飛行機は、自分の車イスから機内用のものに乗り換えが必要です。
これが非常なストレスで、座席に座るまでとても緊張しました。
客室乗務員もまだ不慣れな感じでした。
6回目函館、7回目南九州、8回目釧路湿原と行って 飛行機に慣れ2泊の旅行も大丈夫になりました。
この間、観光地のバリアフリー化が年々広がったのを実感しました。
行けない所、不便な個所が減ってきたのです。
どこでも特別視されることが少なくなり、親切な対応を受ける事が多くなりました。
友人もこの間に記憶がほとんど戻り、話のテンポも普通に近づき、
階段を登る練習の成果も外で出せるようになりました。
さらに長時間の移動に慣れるようにと9回目沖縄。

そして、記念の10回目は、思い切って外国へとなり、
行き先や行き方、内容を慎重に検討して やっとハワイへ行ったのでした。
夢が叶った!と、ワイキキビーチの夕陽を一緒に見た時、泣きそうでした。

翌年は、北海道余市。
そして今年の車イスの友人との旅行は軽井沢へ行って来ました。

こんな風に旅を楽しめるようになるなんて、病院へ駆けつけた時を振り返ると嘘のようです。
ひとえに本人の努力とご主人の明るく献身的な介護の賜物だと思います。

年一度のこの旅行でまた外国に行きたいねと もう来年の話をしつつ別れたのでした。