40年ぶりのエミリ・ディキンスン

これからコーディネーターの渡辺です。

JAFの冊子の中に「幸せって何だろう」というコラムがありますが、
今月は宮本輝氏の「人の役に立てること」でした。

浪人時代の宮本氏が、予備校にも行かないで大阪中之島図書館で
読みふけった小説や詩の中で、惹かれた詩人が「エミリ・ディキンスン」
であり、彼女の詩集の中で 諳んじていたのに
52年間すっかり忘れてしまっていたのが、突然に思い出し、
深く思いを傾けるようになったという一遍の詩が書かれています。

「もし私が一人の生命の苦しみを和らげ
一人の苦痛をさますことができるなら
気を失った駒鳥を
巣に戻すことができるなら
私の生きるのは無駄ではない」

人はなんのために人間として生まれ、なんのために生きるのか。
生きるに値する行為とは何か。持って死ねるものとは何か。
エミリ・ディキンスンの詩は、読む人にその究極の本質を明示している。
と、宮本氏は書いておられます。

アメリカの裕福な家に生まれたエミリの詩のほとんどは、
社会への反抗と抵抗、既存の規範への拒否に満ちていて、
18歳の宮本氏は戸惑いながらも惹かれた。と。

「自然と愛と孤独と」という中島完先生の翻訳本で学生時代に私も
「エミリ・ディキンスン」を読んだと思い出しました。
30代から55歳で亡くなるまで殆ど、自宅の門から外に出ずに
訪問者とも会わないという隠遁生活、孤独な生活を確立させて、
詩を書き続けた女性でした。

「稲妻は黄色いフォークだ。
空の食卓から
うっかりした指の落す
恐ろしい刃物だ。」

この詩の鮮明な印象と同じように、
宮本氏の文を読んで思いがけない方向から
鮮やかにディキンスンが蘇りました。