【番外編】「噺の肴」セミナーを終えてVol2

和ごころコンシェルジュの裏野由美子です。

今回もNIKKEIプラス1を離れて先日行いました

「噺の肴」侘び寂びを感じ日本のおもてなしの心を極めるセミナーに

ついてお伝えしたいと思います。

 

前回のコラムで「侘び寂び」「おもてなし」は

なんとなく分かっていても表現が難しい

それが「和ごころ」だとお伝えしました。

日本人独特の感性や美意識でしょうか。

 

セミナーでは「侘び寂び」や「おもてなし」とは

どうものかということを、

一枚の大皿を使い表現しました。

 

 

 

 

 

 

テーブルの上にポンとおかれた大皿

私からご参加の皆さんに

「このお皿に【侘び寂び】を感じますか?」

とご質問しました。

 

しかし、皆さん「???」という感じでした。

 

もちろんです。

皆さんにとってはただの何も盛られていない一枚のお皿です。

 

しかしこのお皿は私にとっては

「侘び寂び」「おもてなし」「和ごこころ」

あらゆる要素が含んでいるお皿です。

 

このお皿が当店にやってきた経緯をお話ししました。

 

このお皿はもともとは一枚の大皿だったのですが、

焼いている途中で割れてしまったそうです。

しかしあまりにも出來が良かったので、

一枚に「瀬をはやみ」もう一枚には「滝川」と

百人一首にでてくる「崇徳院」の

「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に逢わむとぞ思ふ」

からとった銘が入りました。

 

割れてしまったからと捨てるのではなく

不完全な美を美しいとする日本人独特の感性が働き

また、「もったいない」へもつながることを良しとし、

一枚は当店にもう一枚は別の料理屋さんへと

何年か先にまた一枚になる日がくることを願って

あるお客様からいただきました。

 

「二枚とも自分が持っていても宝の持ち腐れのような感じがして」とのこと

 

自分には不必要なもの余分なものをすべて取り去っていくと

なんとなく「侘しいなぁ~寂しいな~」という感情が残る。

しかし、目の前に残った物や残った感情が

とても貴重で大切に思えてくる。

それが「わびさび」ではないかと思います。

 

お客様も割れた二枚のお皿を別々のお店に渡すことにより

自分の手元からは離れ「侘しいなぁ~寂しいなぁ~」と感じるが、

いつかこの二枚のお皿がどんな出会いを果たすのだろうかと

想いを馳せるとワクワクしてくる。

 

そして、それぞれのお店に行くと

そのお皿に料理が盛られて出てくる。

 

私たちがお客様に出来る「おもてなし」です。

「もう少し年月が経たないと逢えないね~」

「この辺景色が変わってきたんじゃない?」

色々な会話が生まれていきます。

そしてまた、次に逢うまでワクワクを持ち続けながら・・・

 

「和ごころ」とはそんな遊びごころの要素を含んだ

心地よさが記憶に残る「余韻」ではないでしょうか。

 

私は「和ごころコンシェルジュ」と名乗っていますが

相手の言葉にならない想いを伝えられる人として

これからも活動していきたいと思います。

 

私自身とても気づきの多いセミナーになりました。

ご参加いただいた皆さまありがとうございました。

 

ご感想に

お皿の話を聞き先ほどは何も感じなかったお皿の印象が

がらっと変わった瞬間が自分でも面白かったとおっしゃっていました。

 

人にも物にもそれぞれのストーリーがあり、それを体験することで

新たな価値や自分の感情に気づく。

五感を働かせ第六感を目覚めさせる。

それが日本の「おもてなし」ではないでしょうか。