12月21日は父の命日だった。
父が亡くなった時に5ヶ月だった娘が、今11歳となっているので、もう11年も経ったことに気付くが、私にはまだついこの間のような感覚がある。
父が生きていたら67歳。私の中では56歳の父で止まっているので、年金を貰う年齢のおじいちゃんになった父の姿を想像することはできない。
父は体調が良くないと感じながらも、日々の診療に追われ、1年近くも精密検査は受けずにいたよう。がんだと診断を受けた時には手術もできない状態。「パパはがんになってしまったんだよ」と、離れて暮らす私にくれた電話の父の声は、今でも思い出すが、その時に私が何て声をかけたのかは思い出せない。
結局、父の闘病期間はたった1ヶ月半ほどだった。父ははっきり余命宣告を受けていたわけではなさそうだったし、抗がん剤を投与しなければ、意識障害や機能障害、呼吸困難を引き起こすことはなかったのかもしれない。(抗がん剤治療そのものが悪いわけではなく、父の体が抗がん剤に耐えられる状態でなかった)
それだけに、父が自分の最期に向けて、身辺整理も心の準備も不十分で亡くなったことは、遺された家族としては悔やまれるし、必ず父にも何か伝えたかったことがあるはずだと思う。
ただ、死を早めてしまうことを恐れずに、がんを治したい一心で抗がん剤治療を希望したことは、自分が思ったことを突き通す父らしい最期だったと理解しているし、父の中では覚悟を決めていたのかもしれない。
3大疾病の他の2つである急性心筋梗塞、脳梗塞とは違って、がんは病気になってすぐに死に至る病気ではない。頭と心とで病気を受け入れ、死を覚悟しなければならないのは、人生最大の何よりも辛いことだけれど、人生の最期に向けて考える時間を持てる運命であったことは、恵まれたことなのかもしれない。自身のためにも、遺してしまう家族や周りの人のためにも。