自分の命がなくなるということは

お金にも命にも限りがある。限りがある中で、お金をどう使って自分はどう生き切るのか。

そんな相談も舞い込んでくる。

 

がんが見つかってから治療を続けてきたが、再発転移。その後は仕事も辞め、いくつか抗がん剤治療を続けてきたものの、体に合うものが見つからず、治療効果よりも副作用の方が強く、手足に痺れや痛みがひどく出てしまい、日常生活もままならない。医師からは違う治療の検討の話も出ているが、まだ返事をしていないという患者が来られた。

 

そもそもの相談は、「貯蓄や保険をどう使い、これからの就労をどう考えるか」であった。私は加入されている保険の保障内容から、自身で使える額、そして遺す人と遺したい額を確認した。

そして、通院も精一杯な体調と、この先の治療方針が決まってない現状では、決まった出勤が求められる職への就活は難しいのではないかと、主治医の意見を加味してお話しした。と言っても、何もできないわけではない。就労できる体調と環境が整うまでの間、ネットを使った情報発信やコミュニティ作りなど、できることがあるのではないかと提案した。

 

話していく中で、おっしゃったのは、「治療費にお金がかかるから、他のことは節約や我慢せざるを得ない。それなのに、治療のせいで心身共に辛い思いをして、やりたいことも生活も思うようにできない。これは自分をとても惨めに思うし、自分の中では生きているうちに入らない」ということ。

結局、積極的ながん治療は止め、痛みや咳を抑える治療のみに変更され、自身の体調のコントロールを第一に「やりたいこと」に向けて動かれたようだった。

 

その方の「やりたいこと」は、自分が経験した不安や負担を、他の患者や未来の患者に対し軽減してあげられるようなサポートだった。がんは身近な病になったとはいえ、孤独を感じながら治療を受けている方も少なくないことを、身を持って感じていたのかもしれないと思われる。

 

その方は私に、約4年間にわたるがん治療の詳細と自分が支払ってきた医療費の明細を渡してくださった。私が取り組んでいるようながん患者のお金や仕事の問題も、これまでの患者の経験を活かせたら、未来の患者の問題を軽減できることに繋がるかもしれない。そんな想いを私に託された。

 

自分の命がなくなるということは、自分の命を他の人の命の中に残していくことである。

自分に与えられた命を、より大きな命の中に溶け込ませて生きていくことこそ

私たちが生きる究極の目的であり、永遠の命につながることだと思う。

 

先日105歳で逝去された日野原重明先生のこの言葉にもあるように、自分の命に終わりを感じたとしても、自分の命、想いを誰かに繋いでいくことができる。繋いでもらった者は、更に繋いでいけるよう、その人の命、想いを糧として前に進みたい。

 

 

 

 

がんライフアドバイザー® 川崎由華