綺羅女プロデューサーOkeiです。
このサイトでのコラムをスタートさせるにあたって、
昔読んだことのある田辺聖子さんの「新源氏物語」を題材にして、
女性の生き方をテーマに書いてきたわけですが、
「宇治十帖」は今まで読んだことがありませんでした。
こちらも田辺聖子さん版を読んだので、タイトルも違うのですが・・・。
結局、「新源氏物語」上、中、下巻、
「霧ふかき宇治の恋」上、下巻を
コラムの進行と同時に読んできました。
いや~、なかなか読みごたえがありましたよ。
最近はビジネス書とか、自己啓発本ばかり読んでいたので、
とっても新鮮でした。
そして今回のコラムでは、宇治十帖を勝手に総括してしまいます。
調べてみると、源氏物語の著者は紫式部、
でも、宇治十帖は違う人が書いたんじゃないの???
と言う人もいるそうです。
なぜなら、書き方が男目線だからと。
本当のところはわかっていませんが、
Okeiとしては、紫式部が書いたものだと思いたい気がします。
男目線で、男のエゴ丸出しなのは、
紫式部がわざとそうしたんじゃないの?と思いたい。
それほど、宇治十帖はなかなかの女性軽視な物語でした。
鼻で笑ってしまうくらい、男性の勝手な思いが綴られていました。
源氏物語では、源氏の人生が移り変わる毎に、
たくさんの登場人物が出てきましたが、
宇治十帖ではそれほどたくさんの登場人物はおらず、
限られたメンバーの中での恋バナになっています。
光源氏の子(本当は違うけど)で超まじめな薫と、
光源氏の孫であり、相当なプレイボーイである匂宮という、
正反対な性格を持つ2人の男性と、
光源氏の弟の3人の娘たちの話です。(ややこしい)
薫のことはまじめで誠実で、軽々しく女性に手出しをせず
誠意をもって接する人・・・と描かれていますが、
女性から見ると・・・・・・・「重い!!!くどい!!!」
匂宮のことは、プレイボーイで口がうまく、
女性を扱うのがとっても上手、と描かれていますが、
女性から見ると・・・・・・・・「騙されてたまるか!!!」
ん?私、ちょっとストレスたまってる???(笑)
この時代の身分の高い人たちは、男性も女性も
なかなか自分の思い通りには生きられなかったようですが、
女性の方がより窮屈な生活を強いられていたのですね。
顔、姿を夫以外の男性に見せてはいけないって、
そんなバカな!という感じです。
でも、そんな閉塞感の中でも、大君、中の君、浮舟が、
必死に生きている、その描写が素敵でした。
どんなにはかない人生であっても、その人らしさという、
キラリと光るものを、みんな持っている。
そんなことを描きたかったのかな~と、
キャリアコンサルタント的には思ってしまいます。
そして、相当昔の話のはずなのに、
現在に通じるようなことも読み取れるのが面白い。
人間模様というのは、時代が変わっても
そんなに変わらないものなのかもしれませんね。
ということで、源氏物語にまつわるコラムは、
これで終了としたいと思います。
次回からは「花言葉」から
女性の生き方を学ぶシリーズにしようかと検討中。
ご期待ください♪
あ!それから、明日、7月30日
和歌山でこんなセミナーを行ないます♪